バベル スタンダードエディション
バベル スタンダードエディション
ブラッド・ピッド.ケイト・ブランシェット.ガエル・ガルシア・ベルナル.役所広司.菊地凛子.二階堂智.アドリアナ・バラッサ, アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
ギャガ・コミュニケーションズ
発売日: 2007-11-02
定価: 3,990 円
アマゾン価格: 3,124 円
アマゾン売上ランキング: 6699位
通常24時間以内に発送
ブラッド・ピッド.ケイト・ブランシェット.ガエル・ガルシア・ベルナル.役所広司.菊地凛子.二階堂智.アドリアナ・バラッサ, アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
ギャガ・コミュニケーションズ
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定価: 3,990 円
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【作品紹介 - Amazon.co.jpより - 】
モロッコで生活のために山羊を襲うジャッカルを撃つために銃を渡された兄弟。彼らはその腕を競い合うように発砲。その銃弾はツアーバスの女性客の体を撃ち抜いた。女性はモロッコに旅行に来ていたアメリカ人夫婦の妻。夫は家に残した子供たちの面倒をみている乳母に電話をするが、乳母は突然の出来事に驚き悩む。息子の結婚式に出席したい彼女は、やむを得ず、夫婦の子供たちをメキシコに連れていくことにした。一方、日本では、母親を泣くしたショックから立ち直れない聾唖の女子高生が愛を求めて町をさまよっていた。自分は誰にも愛されないのか、誰も抱きしめてくれないのかと心の中で叫んでいた…。
一発の銃弾が、モロッコ、メキシコ、日本を撃ち抜く。お互い見知らぬ関係なのに、その銃弾は彼らの人生に次々と暗い影を落とす。人生は突然、思いがけない事態に陥り、人々は悩み、苦しみ、ときには地獄を見る。しかし、そこから何かが生まれることもあるのだ。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトウ監督は『アモーレス・ペロス』のときから、人生のどん底をこれでもかと見せつけるが、決して登場人物を見放すことはない。必ずや長く暗いトンネルの向こうに細く差し込む光を描くのだ。モロッコ編で夫婦を演じるのはブラット・ピットとケイト・ブランシェット。メキシコ編で乳母を演じるのは『アモーレス・ペロス』にも出演していたアドリアナ・バラッザ。その甥をガエル・ガルシア・ベルナルが演じている。そして日本編は、女子高生役に菊地凛子、父親は役所広司。ブラッドはどうしようもない現実に苛立ち、苦悩しながらも、妻や家族への愛を確信する中年の男を力強く演じきり、菊地が演じる少女の孤独は痛々しく胸に突き刺さる。彼女の悲しみと怒りを讃えた瞳は見るものをとらえて離さないだろう。(斎藤 香)
モロッコで生活のために山羊を襲うジャッカルを撃つために銃を渡された兄弟。彼らはその腕を競い合うように発砲。その銃弾はツアーバスの女性客の体を撃ち抜いた。女性はモロッコに旅行に来ていたアメリカ人夫婦の妻。夫は家に残した子供たちの面倒をみている乳母に電話をするが、乳母は突然の出来事に驚き悩む。息子の結婚式に出席したい彼女は、やむを得ず、夫婦の子供たちをメキシコに連れていくことにした。一方、日本では、母親を泣くしたショックから立ち直れない聾唖の女子高生が愛を求めて町をさまよっていた。自分は誰にも愛されないのか、誰も抱きしめてくれないのかと心の中で叫んでいた…。
一発の銃弾が、モロッコ、メキシコ、日本を撃ち抜く。お互い見知らぬ関係なのに、その銃弾は彼らの人生に次々と暗い影を落とす。人生は突然、思いがけない事態に陥り、人々は悩み、苦しみ、ときには地獄を見る。しかし、そこから何かが生まれることもあるのだ。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトウ監督は『アモーレス・ペロス』のときから、人生のどん底をこれでもかと見せつけるが、決して登場人物を見放すことはない。必ずや長く暗いトンネルの向こうに細く差し込む光を描くのだ。モロッコ編で夫婦を演じるのはブラット・ピットとケイト・ブランシェット。メキシコ編で乳母を演じるのは『アモーレス・ペロス』にも出演していたアドリアナ・バラッザ。その甥をガエル・ガルシア・ベルナルが演じている。そして日本編は、女子高生役に菊地凛子、父親は役所広司。ブラッドはどうしようもない現実に苛立ち、苦悩しながらも、妻や家族への愛を確信する中年の男を力強く演じきり、菊地が演じる少女の孤独は痛々しく胸に突き刺さる。彼女の悲しみと怒りを讃えた瞳は見るものをとらえて離さないだろう。(斎藤 香)
【ユーザーによる評価】 平均評価: 3.5/ 総数: 77件
変わったアングルで展開していきます。ブラッド・ピッド、役所広司、菊地凛子の出演ものです。
モロッコ、メキシコ、日本の物語が交錯して始まっていくのですが、実はそれらすべてに相関関係があるのです。
変わった描写で展開していきますが、ひねりをつけたシナリオなのに、なにか中身がついていってないような感じがしました。 (2008-05-05)
モロッコ、メキシコ、日本の物語が交錯して始まっていくのですが、実はそれらすべてに相関関係があるのです。
変わった描写で展開していきますが、ひねりをつけたシナリオなのに、なにか中身がついていってないような感じがしました。 (2008-05-05)
何と言ったら良いのか…。言いたいことはわからないでもないのですが。
映像をつなげるのはうまいと思いましたが……。
私にとっては不愉快な部分があったことも否めません。
まず、冒頭のモロッコ少年の覗きと自慰行為。
あと、菊池凛子が喫茶店で股を広げるシーン(しかもヘア無修正)。
本編と関係ないのでは?
特に日本の部分で、外国の人から日本の若者はああいうものなのか、と思われるのがすごく不愉快です。
イニャリトゥ監督よ。あなたには日本はそんな風に写っていたのですか?
それと、レーティングについて。最初に述べたように、あのシーンは中学生以下に見せるものではありません。PG−12指定ではなく、R−15指定にすべきだったと思います。
話題作?と言われても、心にひっかかるものがあります。
世界には大作でなくとも、素晴らしい映画がたくさんありますよ。
(2008-05-04)
映像をつなげるのはうまいと思いましたが……。
私にとっては不愉快な部分があったことも否めません。
まず、冒頭のモロッコ少年の覗きと自慰行為。
あと、菊池凛子が喫茶店で股を広げるシーン(しかもヘア無修正)。
本編と関係ないのでは?
特に日本の部分で、外国の人から日本の若者はああいうものなのか、と思われるのがすごく不愉快です。
イニャリトゥ監督よ。あなたには日本はそんな風に写っていたのですか?
それと、レーティングについて。最初に述べたように、あのシーンは中学生以下に見せるものではありません。PG−12指定ではなく、R−15指定にすべきだったと思います。
話題作?と言われても、心にひっかかるものがあります。
世界には大作でなくとも、素晴らしい映画がたくさんありますよ。
(2008-05-04)
日本の警察以外の世界の警察は態度が悪い!作品として何が言いたいのかが不明瞭なピンボケ作品。
モロッコで生活するとある村の村人が家畜を襲うジャッカルを退治するために銃を購入したところから話がスタートする。
で「3キロ先の的も狙えるというその銃」の威力を息子2人がたまたま試し撃ちで狙ったのが遥か先の観光バス。
それは「当たるはずのない銃撃であった」。
・・・・・が、弾は観光バスの窓を貫通してアメリカ人夫婦の妻に命中してしまう。
一方、アメリカ人夫婦の自宅では残された幼い2人の兄妹を乳母が面倒みていたものの、たまたまその日行われる乳母の女性の息子の結婚式に出席するために国境を越えてメキシコまで向かうことになる。
主人には子供達の面倒を頼むと依頼されていた。本来なら自身の職務を優先させるべきで結婚式には出るべきではなかったのだが、可愛い息子の晴れ姿を見たいという誘惑には勝てない。
そして・・・日本。「洋画から一気に場面が邦画」に転換されたかのような印象を受ける。
聾唖の少女は母親を失い、父と2人暮らし。母の死(自殺)が家族の関係に亀裂を生じさせ、父親とはギクシャクしていた。
その父親はハンティングが趣味。その父親が使用していた猟銃を数年前に中東を訪れた際に現地のガイドの男にプレゼントしていた。
その銃こそが冒頭のアメリカ人妻銃撃事件に使用された銃であったのだ!
かくて、全く関係がないかのような「モロッコ」「日本」「アメリカ」「メキシコ」の各地が1本の糸で繋がれることになる。
モロッコでは重体の妻を夫が助けようと必死の奔走を繰り返していた。が、言葉の違い・交通事情・設備不足が障害になり治療ができない。
メキシコでは無事に結婚式は終わったものの、帰り道で乳母の甥が運転する車が国境で飲酒運転の疑いを掛けられ、キレた甥が国境を強行突破。
日本では少女が自分の心の寂しさを理解されず出会う男に次々と助けを求めていた・・・・。
この作品に出てくる警察官僚は日本を除いて「明らかにおかしい」ような気がするのは私だけか???。
モロッコでは年端もいかない少年をいくら銃撃事件の容疑者とはいえど、いきなり情け容赦なく銃撃したり・・・
メキシコとアメリカの国境ではメキシコ人というだけで最初から何かの犯罪者であるかのように乳母とその甥を取り扱ったり・・・・。
この警察のほうが「よほど悪党」としか思えなかった。
それとも「それは日本で生まれ育った者故の甘い物の見方」で、世界ではむしろモロッコやアメリカの警察の取る態度のほうが常識的なんだろうか?
(2008-04-26)
モロッコで生活するとある村の村人が家畜を襲うジャッカルを退治するために銃を購入したところから話がスタートする。
で「3キロ先の的も狙えるというその銃」の威力を息子2人がたまたま試し撃ちで狙ったのが遥か先の観光バス。
それは「当たるはずのない銃撃であった」。
・・・・・が、弾は観光バスの窓を貫通してアメリカ人夫婦の妻に命中してしまう。
一方、アメリカ人夫婦の自宅では残された幼い2人の兄妹を乳母が面倒みていたものの、たまたまその日行われる乳母の女性の息子の結婚式に出席するために国境を越えてメキシコまで向かうことになる。
主人には子供達の面倒を頼むと依頼されていた。本来なら自身の職務を優先させるべきで結婚式には出るべきではなかったのだが、可愛い息子の晴れ姿を見たいという誘惑には勝てない。
そして・・・日本。「洋画から一気に場面が邦画」に転換されたかのような印象を受ける。
聾唖の少女は母親を失い、父と2人暮らし。母の死(自殺)が家族の関係に亀裂を生じさせ、父親とはギクシャクしていた。
その父親はハンティングが趣味。その父親が使用していた猟銃を数年前に中東を訪れた際に現地のガイドの男にプレゼントしていた。
その銃こそが冒頭のアメリカ人妻銃撃事件に使用された銃であったのだ!
かくて、全く関係がないかのような「モロッコ」「日本」「アメリカ」「メキシコ」の各地が1本の糸で繋がれることになる。
モロッコでは重体の妻を夫が助けようと必死の奔走を繰り返していた。が、言葉の違い・交通事情・設備不足が障害になり治療ができない。
メキシコでは無事に結婚式は終わったものの、帰り道で乳母の甥が運転する車が国境で飲酒運転の疑いを掛けられ、キレた甥が国境を強行突破。
日本では少女が自分の心の寂しさを理解されず出会う男に次々と助けを求めていた・・・・。
この作品に出てくる警察官僚は日本を除いて「明らかにおかしい」ような気がするのは私だけか???。
モロッコでは年端もいかない少年をいくら銃撃事件の容疑者とはいえど、いきなり情け容赦なく銃撃したり・・・
メキシコとアメリカの国境ではメキシコ人というだけで最初から何かの犯罪者であるかのように乳母とその甥を取り扱ったり・・・・。
この警察のほうが「よほど悪党」としか思えなかった。
それとも「それは日本で生まれ育った者故の甘い物の見方」で、世界ではむしろモロッコやアメリカの警察の取る態度のほうが常識的なんだろうか?
(2008-04-26)
この映画、悪くはない。超高層マンションはバベルの塔を模しているとはよく言われているが、登場する3つの家族を結びつけるライフル銃は、遠いものをコントロールしたい人間の欲望を隠喩している。
超高層の高さ、天を支配したい高さへの欲望と銃の遠さ、距離を支配したい遠さへの欲望、いわば縦と横の超越の軸が、この映画の基本構成だ。
日本家族の母を自殺に追い込んだライフル銃は、モロッコの家族の子供達の手に渡り、「この銃は3キロ先のものにまで届くんだよ」と言わせる。
その遠くをコントロールするためのライフル銃は、最も近い自分自身を抹消する武器に変身して日本人家族の母を自害に追いやる。
さらにその銃はモロッコを旅行するアメリカ人夫婦のスーザンの肩にあたり、重傷を負わせる。
リチャード(ブラッドピッド)+スーザン(ケイト・ブランシェット)夫妻は、子供を預けてモロッコを傷心旅行するが、その幼い子供たちはメキシコ・アメリカ国境でトラブルに見舞われる。
リチャード夫妻のモナコもその子供達が災難に遭うメキシコ国境にも草木=自然がない。自然が存在しない乾いた土地(ニーチェ的な〈大地〉ならざる土地)がむき出しのまま続く。
これは超高層の空虚を大地の空虚感に重ね合わせる演出だ。いずれも近代の欲望(の結果) ― 人間が神の座に代わる欲望を隠喩している。
リチャード+スーザンの子供達はわずかに茂った草木の影に置かれて乾きを免れ最後には助かる。
この子供達は異国のメキシコ人に育てられるという超核家族の象徴。
ちょうど、荒廃した大地と超高層の家族観が、子育て自体を異国の人に任せるという超核家族、つまり自立した個人というイメージに繋がっている。
またそれらはメキシコ国境というバベル的な多言語分裂をも隠喩している。子供達が途方に暮れるきっかけとなったのも言語の問題だった。そういった風景が随所に織り込まれている映画。
モナコの惨劇に遭うリチャード+スーザン夫妻自身は、放尿とキスの愛撫という人間の肉体性と精神性の対極の形を見事に詰め込んだシーンの中で(ちょっとやり過ぎかな、という感じもあったが)、夫婦の愛を復活させる。
日本人家族の娘、菊地凛子は、聴覚障害で〈言葉〉を発することが出来ない。バベルの塔の建設によって、神が多国語への分散を強いた、その動機が菊地凛子の存在を演出する。近いものは近い、というコミュニケーションへの不遜がバベルの塔を築かせたのだ。
ラストシーンは、母亡き後父親の役所広司と菊地凛子の二人が住む超高層マンションのベランダで、母親がライフル銃で自殺したことを隠したい菊地凛子が父親に抱かれる(親子の愛を確認しつつ)シーンだ。ベランダを遠く後にしながら東京の超高層ビル群が映し出されるラストシーンだ。この家族は救われるのか、救われないままなのか。
「最も暗い夜の最も輝ける光」というメッセージと共にこの映画は終わるが、私にはこのメッセージはハイデガーの「不安の無の明るい夜」、ヘルダーリンの「危険のあるところ救うものもまた育つ」という言葉を意識したものだとしか思えない。
この映画はバベルの塔以後の人間(つまりモロッコ、メキシコ、アメリカへと分散した人間)が、ふたたび〈大地〉を荒らし、バベルの塔(超高層)を目指したが、人間の振幅や自然を取り戻すきっかけ(夜の中の光)をその中にもわずかながらに見せて終えようとする。
図式は相変わらず通俗的ではあるが、映画的な緊張感は充分にあって、143分、退屈せずに見られる。ただ、役所広司はやっぱり大根役者だった。二階堂智の刑事は悪くはなかった。菊地凛子は喫茶店で股を開くところには狂気を感じたが、肝心の全裸シーンでは迫力がなかった(カメラも良くなかったが)。その分、アカデミー賞を逃したという感じか。蛇足ですが。 (2008-04-13)
超高層の高さ、天を支配したい高さへの欲望と銃の遠さ、距離を支配したい遠さへの欲望、いわば縦と横の超越の軸が、この映画の基本構成だ。
日本家族の母を自殺に追い込んだライフル銃は、モロッコの家族の子供達の手に渡り、「この銃は3キロ先のものにまで届くんだよ」と言わせる。
その遠くをコントロールするためのライフル銃は、最も近い自分自身を抹消する武器に変身して日本人家族の母を自害に追いやる。
さらにその銃はモロッコを旅行するアメリカ人夫婦のスーザンの肩にあたり、重傷を負わせる。
リチャード(ブラッドピッド)+スーザン(ケイト・ブランシェット)夫妻は、子供を預けてモロッコを傷心旅行するが、その幼い子供たちはメキシコ・アメリカ国境でトラブルに見舞われる。
リチャード夫妻のモナコもその子供達が災難に遭うメキシコ国境にも草木=自然がない。自然が存在しない乾いた土地(ニーチェ的な〈大地〉ならざる土地)がむき出しのまま続く。
これは超高層の空虚を大地の空虚感に重ね合わせる演出だ。いずれも近代の欲望(の結果) ― 人間が神の座に代わる欲望を隠喩している。
リチャード+スーザンの子供達はわずかに茂った草木の影に置かれて乾きを免れ最後には助かる。
この子供達は異国のメキシコ人に育てられるという超核家族の象徴。
ちょうど、荒廃した大地と超高層の家族観が、子育て自体を異国の人に任せるという超核家族、つまり自立した個人というイメージに繋がっている。
またそれらはメキシコ国境というバベル的な多言語分裂をも隠喩している。子供達が途方に暮れるきっかけとなったのも言語の問題だった。そういった風景が随所に織り込まれている映画。
モナコの惨劇に遭うリチャード+スーザン夫妻自身は、放尿とキスの愛撫という人間の肉体性と精神性の対極の形を見事に詰め込んだシーンの中で(ちょっとやり過ぎかな、という感じもあったが)、夫婦の愛を復活させる。
日本人家族の娘、菊地凛子は、聴覚障害で〈言葉〉を発することが出来ない。バベルの塔の建設によって、神が多国語への分散を強いた、その動機が菊地凛子の存在を演出する。近いものは近い、というコミュニケーションへの不遜がバベルの塔を築かせたのだ。
ラストシーンは、母亡き後父親の役所広司と菊地凛子の二人が住む超高層マンションのベランダで、母親がライフル銃で自殺したことを隠したい菊地凛子が父親に抱かれる(親子の愛を確認しつつ)シーンだ。ベランダを遠く後にしながら東京の超高層ビル群が映し出されるラストシーンだ。この家族は救われるのか、救われないままなのか。
「最も暗い夜の最も輝ける光」というメッセージと共にこの映画は終わるが、私にはこのメッセージはハイデガーの「不安の無の明るい夜」、ヘルダーリンの「危険のあるところ救うものもまた育つ」という言葉を意識したものだとしか思えない。
この映画はバベルの塔以後の人間(つまりモロッコ、メキシコ、アメリカへと分散した人間)が、ふたたび〈大地〉を荒らし、バベルの塔(超高層)を目指したが、人間の振幅や自然を取り戻すきっかけ(夜の中の光)をその中にもわずかながらに見せて終えようとする。
図式は相変わらず通俗的ではあるが、映画的な緊張感は充分にあって、143分、退屈せずに見られる。ただ、役所広司はやっぱり大根役者だった。二階堂智の刑事は悪くはなかった。菊地凛子は喫茶店で股を開くところには狂気を感じたが、肝心の全裸シーンでは迫力がなかった(カメラも良くなかったが)。その分、アカデミー賞を逃したという感じか。蛇足ですが。 (2008-04-13)
バラバラモロッコ・メキシコ・アメリカ・日本を舞台に、一見無関係な人と事柄が一発の銃弾をきっかけに一つに繋がる壮大な……とかではない。銃弾は世界との繋がりを象徴する前ふりに過ぎず、あとは個々の小さな話に終始する。各エピソードは断片のまま組み合わさることがない。世界の全ては意識されずともか細い糸で繋がっているよと示す意図だろうが、舞台の大きさと個別エピソードの微細な感触とが分断されている。もっとも映画のテーマは「分かり合えない」という人々の断絶であるので(ただし刺身のつま程度の「希望」が取って付けられる)、作り手の狙い通りの出来映えとはいえる。周到緻密に進行して断片が綺麗にはまっていく様子に息を呑むといったエンターテインメント性とは真逆を志向した作品である。
しかしその狙い自体に無理があった。繋がってるようで断片は断片のままとは現実の生活がすでにそうであり、わざわざ映画にするまでもなければ映画に教えてもらうまでもない。普通に暮らしていればコミュニケーション不全を感じる機会は幾らでもあるし、本作の「銃と銃弾」程度の象徴は輸入製品という形で身の回りに溢れている。そこは譲っても「分かり合えない」の描き方がまずい。登場人物がどいつもこいつもひどい短慮で自分の首を絞めている。最善を尽くして分かり合おうとして/分かろうとしてなお残る断絶だとか、平凡な人がちょっとした判断ミスで(もしくはやむにやまれず)愚かな選択をしてしまう、というなら胸に迫るものがあったろう。しかし単に同情できないバカが自爆する自業自得映画となっている。
良い点は…これでは分かり合えないという悪い見本集とはいえるか。不運が不運を招く負のスパイラル鬱展開は見所といえるかも知れない。話題になった菊地凜子は女子高生として無理ありすぎの痛々しさばかりが気になった。衝撃の真実とかも別にないし、積極的に観るべき理由が見当たらない。星一つ。 (2008-04-03)
しかしその狙い自体に無理があった。繋がってるようで断片は断片のままとは現実の生活がすでにそうであり、わざわざ映画にするまでもなければ映画に教えてもらうまでもない。普通に暮らしていればコミュニケーション不全を感じる機会は幾らでもあるし、本作の「銃と銃弾」程度の象徴は輸入製品という形で身の回りに溢れている。そこは譲っても「分かり合えない」の描き方がまずい。登場人物がどいつもこいつもひどい短慮で自分の首を絞めている。最善を尽くして分かり合おうとして/分かろうとしてなお残る断絶だとか、平凡な人がちょっとした判断ミスで(もしくはやむにやまれず)愚かな選択をしてしまう、というなら胸に迫るものがあったろう。しかし単に同情できないバカが自爆する自業自得映画となっている。
良い点は…これでは分かり合えないという悪い見本集とはいえるか。不運が不運を招く負のスパイラル鬱展開は見所といえるかも知れない。話題になった菊地凜子は女子高生として無理ありすぎの痛々しさばかりが気になった。衝撃の真実とかも別にないし、積極的に観るべき理由が見当たらない。星一つ。 (2008-04-03)
・ ゾディアック 特別版
・ アドレナリン
・ アポカリプト
・ ブレイブ ワン 特別版
・ ブラッド・ダイヤモンド (期間限定版)
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